Profile! はじめまして。~過去の記録~  どん底からの復活と次の絶望

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過去シリーズ

これからお話する内容は全て私の過去の物語でありノンフィクションです。

自分自身あまり話したく内容も含まれています。

ただ、こんな人もいるんだと知って頂けることや、現在子育てで困っている人たちの育て方の参考になれば幸いだと思いましたので記載させて頂きます。もし気になる方いらっしゃいましたら最後まで読んでいただければ幸いです。

 

 

  • 14、15歳の私

14、15歳といえば中学2年及び3年の時期です。

私は中学1年で不登校になりました。正直これ以上は学校に行くことはないと思っていました。

 

そんな時、親が私に相談してきます。

 

「県外の学校に行ってみる気はないか。」

 

私は特に何も考えず、その学校の見学に行ってみました。

その学校は全国の不登校の学生が集まってくる学校でした。

学校の名前は

 

                  「どんぐり向方学園」

 

こんな名前の学校があるんだっていうくらい不思議な名前の学校でした。

私は県外の学校なら周りはみんな知らない人で、一から生きていける気がしてその学校に入学しました。

 

どんぐり向方学園はとても変わった学校です。

 

まず、場所がとっても新鮮な場所です。

 

位置的には長野県にある学校なのですが、よく見ると長野県と愛知県と静岡県の県境に近い場所にあります。また、標高が700m越えの山の中に1つぽつんとある学校なので、周りは山と自然しかありません。

 

コンビニも、最も近いコンビニに行くまでに車で45分以上山道を移動する必要があります。

 

そのため、もちろん全寮制の学校になってます。

 

自分の部屋が与えられますが、朝起きたら、食堂があるので好きな朝ごはんを食べて、授業を受けるといった流れになります。

 

授業内容もとっても斬新です。午前中は中学で習う基礎の基礎の勉強をします。数学などでは100ます計算を行うなんてことをしたこともありました。なので勉強をしっかりする場合はほとんど自主勉になります。

 

そして、午後の授業はすべて農作業になります。

 

畑を耕したり、黒ビニールをつけたり、種をまいたり、畑を一から作ったりもしました。

もちろん田植えや稲の刈り取り、収穫、お茶摘みやゆべし作成なんてかわったことまで行ってきました。

 

学校のルールとしては夜22時には寮の電気を落とし寝ることやゲームの持ち込みなどは禁止なのでゲームにかかわることもありませんでした。

 

そんな自然の中、毎日体を動かし、自然にふれあい、大気と呼吸し、運動することで私の心から何かが変わっていきます。

 

もちろんこの表現は今だからできることであって、当時はそんなこと全く考えていませんでした。

当時思っていたことはこの幸せな時間がずっと続けばいいなっていうことでした。

 

当時は本当に毎日が楽しく、ストレスも全く感じることなく自然や大地の広さ、山のすばらしさ、世界の広さばかりを感じて過ごした日々でした。

 

その時に出会った全国の友達とは忘れられないような体験を多くし、今でも心に残っています。思い出すと泣きそうになることばかりで、夢だったとは思いませんが、夢のような生活でした。

 

体験も非常に珍しい体験を多くさせて頂き、長期休暇の際は中学生の子供が新幹線を利用して一人で地元まで帰るといった面白い体験をさせてもらっていました。

 

休暇が終わって地元からどんぐり向方学園に戻る際の新幹線では間違って東京まで行ってやろうかと思うくらい、東京が好きになったころでもあります。

 

全国から集まってくる子たちと会話する中で、私の知らない世界はまだまだこんなにあることを知り、関東の魅力を多く教えてもらった時期でもあります。

 

どんぐり向方学園はとても自由な学校で私がバドミントンやバスケットボールを好きになったきっかけの学校でもあります。

体育の授業ではバドミントンやバスケットボールの試合をしたりするのですが、人数も少なかったせいかみんなで楽しむようにゲームをすることができました。

そのため、夜ご飯を食堂で食べてから、夜の体育館に行って一人練習したり、時にはみんなを誘うことで、試合をしたりすることもしました。

さすがに夜の体育館なので時間は19時30分までしか使用できないように決められていましたが、、、

 

夜の真っ暗な中で寮からすこしでてみんなでケイドロをすることもありました。

先生を含め全員で楽しく遊んだためとっても楽しく今ではいい思い出になっています。

 

また、その地域は標高700m以上と非常に高い位置に属していること及び長野県の山の奥の奥ということもあり、非常に星がきれいであったと記憶しています。

 

夜ご飯を食べた後、近くの丘の上まで登って寝転がったり、夕方農作業後一人丘の上まで行って寝転がったりして黄昏ていた記憶があります。

 

ちなみにこのころの私は友達から「鋼の錬金術師」という漫画を借りて読んだり、友達が聞いていた「ポルノグラフィティ」のCDを聞くようになります。

 

鋼の錬金術師が私に与えた影響力はすごく、もともと物の根本を気にする性格だった私は、全ての最小単位である原子に興味を持ち、中学生の際に周期表を50番まで記憶してしまいました。

そんなこんなな無駄な努力をするようになりましたw。この努力が今の特技となって出てきています。

 

私自身、いろいろとやらかしていますが、非常に感情が豊かな人間だと思っています。

よく、自然に溶け込んでぼーっとしたり世界のこと、今後のこと、人とは、、、などいろいろと自由に考えることができたのもどんぐり向方学園があってのおかげであることは言うまでもありません。

 

思ったことを文章にしていますが、本当に、きりがありません

 

本当に夢のような生活の日々でした。。。

 

この生活こそ私の人生のターニングポイントであることはもうお分かりかと思います。

私はその時思いました。

 

 

高校を卒業したら、関東の大学に入学して一人暮らしをすると。

 

 

それが夢の一部になりました。また、昔から思っていた世界旅行を一人で行うという夢も実現してやろうと思っています。

 

時間は恐ろしく止まることはありません。

そんな幸せな時間も次第に過ぎ去り、ついに15歳の卒業の時間がやってきます。

私は卒業式で、最後のクラスに移動したとき先生と共に大泣きしたことを覚えています。

高校は地元の高校に行くことになったのですが、卒業して地元に帰る車の中で一人悲しく泣いていた記憶も忘れることはできません。

 

ちなみにどんぐり向方学園は私が14歳の途中ほどで名前が変更になり、どんぐり向方中学校になりました。

私はその開校式にも出席させて頂きました。どんぐり向方中学校の卒業生としては第2期生になるわけです。

 

 

 

  •  16~18歳の私

地元に帰って高校に入学することになります。この年の話はちょうど高校生時代の話になります。

 

どんぐり向方中学校を卒業した私は地元の高校に入学します。

正直高校の入学した直後はとても辛い記憶を覚えています。

 

 

周りが、出身中学校をすらすら言っているなか、私の番になるとどんぐり向方中学校ということになります。

当然地元ではそんな中学のことを誰も知ることはありません。

 

 

知るどころかあまりにも名前が変であるので口に出すのがとっても不安でした。

 

いじめられるかもしれない。避けられるかもしれないという不安と闘いながら初めは何とか乗り切ることができました。

 

 

しかし壁はそれからもいくらかやってきます。

今まで、自然で育ってきた私にとって、大きな校舎で過ごす毎日というのは違和感のパラダイスでした。

 

周りにいる人の量も多く、地元が嫌いな私にとって誰にも心を開けて会話することすらできませんでした。

ただ、私がやるべきことは1つ決まっていたので、毎日目標に向かって勉強することしかすることができませんでした。

 

 

しかし、勉強でも大きな壁が立ちはだかります。

 

特に英語は全く話になりませんでした。

中学がどんぐり向方中学ということは学業に力はほとんどいれていなかったのです。

 

つまり、中学を卒業しての私の英語レベルはcatという単語が分かるレベルでした。

 

 

初め、be動詞やら未来形、やら過去系などといった不思議な言葉を聞いたとき私は正直にこう思いました。

 

次元が違うと。言葉1つ1つの意味が全く分かりませんでした。

この人たちは何をしゃべっているんだろうと若干別の地域にいたような錯覚を覚えた記憶さえ思い起こされます。

 

 

しかし、私のやるべきことは1つです。

高校を卒業したら関東の大学へ入学して一人暮らしをすることだということ。

 

わからないまま、塾に行き、進研ゼミにも加入させてもらい、自分にできる勉強を精一杯行ってきました。

 

勉強を行っていく中で、ゲームをしたくなるという誘惑がありました。

時には負けて少し遊んでしまします。

そんな中でも、自分を責め続け勉強を続けました。

 

学校の中で友達なんていません。

中学の話なんてすることはできないからです。

話しかけられても、最小限の会話しかせず、できる限り一人で生きていこうと思い続け、高校時代を過ごしました。

 

 

正直分からない問題などが友達に聞けないことや毎日一人で勉強しかしないため、精神的にもつらい日は多くありました。

 

今思い返すと、ありえない3年間だと思っています。

一人になり勉強しかしてこなかった3年間。

楽しいことができなかったせいか、勉強しかしていないせいか、正直あまり結果はついてきませんでした。

できる!と思いきれなかったことが原因の1つであるとも思っています。

 

 

学校の毎日の登校も嫌いなスクールバス登校だったので正直毎日つらかったです。

朝つらい日は吐いてしまった日もあります。

ただ、周りの人には迷惑をかけないように口の中に吐いたものをため込むという技術まで習得しました。

(余談ですがその後歯は酸の影響でふにゃふにゃになっていた記憶がありますw)

 

そんなこんな特に思い出もない3年間を過ごし、大学受験の日までやってきました。

 

正直最後の最後まで英語の成績は悪く、このままでは大学に入学できない。努力した夢が達成できないとも思いました。

しかし、関東の某大学ではセンター試験の数学と物理の成績で合否を決める大学がありました。

私は、このことを知った時行ける。と思いました。そしてその通り、その某大学に合格することができました。

 

中学から思い続けてきた小さな夢をかなえることができました。

正直この夢がかなわなければ、死んでしまいたいと思うほどだったので、心の底からうれしいと思った瞬間であったと思います。

 

そして、私は実家から千葉県で一人暮らしを始めることになるのです。

 

 

  •  19、20歳の私

ついに関東での一人暮らしを始めることになりました。

 

はじめのころは嬉しすぎて、千葉県からお台場までママチャリで爆走してしまうなんてこともしていました。

 

もちろん関東に友達なんていません。

それは地元でも変わらなかったこと。

その点で私は全く恐れていることなどありませんでした。

 

大学で学ぶ内容も私の得意な数学、物理系なので楽しく学んでいきました。

わからないことが出ると、すぐに教授や研究室にまで突撃して質問する生徒になっていました。

とても勉強に力を入れていたため、1年の時に入ったギターのサークルを2年目すぐにして辞めてしましました。

辞めた理由というのも、勉強がより難しくなるので、勉強する時間が欲しいという理由です。

 

正直このころは、何を考えていたのかずっと勉強をしていました。

(今になってわかりますが、あの頃はできなくなること、追いつかなくなることが怖かったんだと思います。高校時代ずっと一人で勉強してきたためか、一人で勉強してすべて理解しないと死んでしまうような感覚を感じて生きていたのだと思うのです。)

もちろん気が合う友達も4,5人ほど見つけ、楽しく話すこともありました。

ただ、やはりわからないことは嫌な性格が響き、授業1つ1つをしっかりメモして、復讐を行い、わからない箇所が出たら、すぐに質問をするという生徒になっていました。そのせいもあり、大学生なのにほとんど遊ばず勉強しかしない周りとは全く違う人になっていきました。

 

このころから新しい問題がまた出てきます。

正直目立ちたがりが苦手だった私は大学の授業ではいつも後ろの席に座るようになります。

そして、たまに前のほうや囲まれた席、注目される席に座ると、周りを気にしすぎて、体が熱くなり、汗が止まらなくなっていきます。

当然先生の言っている内容も全く頭に入ってきませんし、何を言っているのかすら覚えていません。

 

私はそんな経験を積みつつも勉強だけはしっかり重ねていくまじめな生徒になっていました。

2年生になってからは更にまじめが悪化しますw。

 

ボイスレコーダーという道具の存在を知ってしまうのです。

記憶したほうがいい授業や難しい授業の内容をすべて購入した安いボイスレコーダーに記録し、すべての授業が終わった夕方以降、一人聞き直すという習慣を始めます。

 

そうして、未来に残るようなノート作成を始めたのが2年生からの私になります。

そのせいもあってか、成績はぐんぐん上昇しました。

授業の単位ではほとんどAかSしか取ることができないレベルまで上がり、私の作成したノートを他の人がコピーしたがるようになります。

正直あまりいい気持ちではなかったですが、ノートをコピーさせてあげたりもしました。

 

 

ここで、話が変わりますが妙に緊張してしまう性格は一向に収まらず、年がたつにつれどんどんその悪い影響が出始めるようになります。

 

普通に考えてみてください。

授業中に急に汗がだらだらな生徒がいて、顔が真っ赤になっていたら。どう考えても危ない子って思いますよね。

それか、体調が著しく悪いのかな何て思ってしまうと思います。

それが私です。

 

実験などの際にも目立つような行動をすると、すぐ赤くなってしまうのでなるべく目立たないように隠れるようになっていきます。

発表をするような機会があるときは毎回あの子大丈夫?って疑われるくらい変人のように見られていたと思います。それくらい汗と緊張のどきどきはすごかったと思います。

 

そんなこんなで大学3年生を迎えることになります。

 

  •  21、22歳の私

大学三年生になりました。

 

三年生になっても今まで通り努力を続け、成績の成果を出し続けていましたが、ついに変化点が生まれます。

 

大きな2つの変化点です。

1つ目は大学3年生後期になって、趣味と呼べるものに巡り合うことです。

 

私は友達と遊んでいた際にふとアニメを勧められました。

すごい感動するから見てみろと、そんなことを言われ、いやいや見ることになりました。

全く未経験者が、経験をしてみると怖いもので、私は急に世界を変えられてしまいました。

なんだこれはと、正直アニメを見終わった際は大泣きしていました。

 

また、アニメのキャラクターも好きになってしまいました。

ほんとに恐ろしいものだなと今なら実感しています。

そのアニメを見終えた私は、完全に取りつかれてしまいました。

アニメの沼にはまったのです。

その当時放送されていたアニメをとことんはじからはじまで確認し予約し再生し、DVDやBlu-rayに焼きこみコレクションをするといったおぞましいほどの「オタク」といわれるレベルまで駆け上がっていきました。

休日は某レンタル会社でアニメのDVDを20本レンタルし見ては返すを繰り返すなど、ずっとテレビを見続ける生活を送るようになりました。

 

おかげで、学校の授業の復讐もしてはいましたが、今まで以上に勉強の時間が減りました。

成績は下がることはありませんでしたが、上がることも当然ありませんでした。

アニメは恐ろしいものだと初めて知った瞬間でした。

 

 

そして2つ目の変化点は研究室です。

私はその当時Mだったのかものすごい怒る恐ろしい教授がいる研究室を第一志望しました。

その教授の研究内容が私のやりたいことにピンポイントで刺さっていたことは事実ですが、私は怒られたかったのかその研究室にすんなりと希望し、入ることになりました。

 

しかし、その研究室は私の想像以上に今後の私の人生を心の塊一つも残さず塵のように粉々に粉砕して頂きました。

 

まず、どんなことをしてもほとんど褒めてくれない教授です。

私は次第に心が暗くなっていきます。

一番の問題は、私は成績は良くても実は考えていませんでした。

自分の脳で考え回答を出していなかったのです。

私はそのことに気づくまで何度も何度も何度も何度も考えろと言われました。

 

今になって思うのですが、私はその当時少しは考えていたと思うのです。(他の人と比べ圧倒的に少しですが)

しかし私の表現力が最低だったことが重複し、伝えたいことを伝えることができませんでした。

(更にプラスして研究室の教授が怒りっぽいことも原因です。)

 

私は期待されていました。

その研究室に毎回質問をしに行っていた珍しい生徒として、成績が良い生徒として、この子なら何かやってくれるのではないかと。

 

しかし、わたしは考えずに覚える人間でした。

テストの得点や良い成績は得られてもそれはただの記憶から出したものでしかありません。

こんな私が、この後どうなっていくかは書かなくてもわかると思います。

 

もちろん頑張ります。

勉強もします。

自分で本も読みます。

しかし、研究となると質問する相手もいなく自分で考えるしかありません。

 

また、プレゼンテーション能力も私にはありません。

そして、とどめに発表などの場で緊張してしまい、話の内容が全く耳に入ってきません。

 

そんな生徒がいたら、成果を出せると思いますか?

学び続けることができると思いますか?

怒られ続けて毎日努力を続けることはできますか?

私はどんどん研究や勉強をするやる気をなくしていき、アニメを見るようになってしまいました。

 

変化点と同様に更に私をどん底に突き落とす症状もひどくなっていきました。

そうです。19、20歳の私の記事の中でも紹介した緊張するという症状です。

大学に入ったころから確かに人に見られるように感じ、緊張する性格であったため、すべての授業では一番後ろの席に座り、発言もせず黙り目立つことなくひたすら勉強を続けてきました。

しかし、学生はプレゼンテーションや成果発表など目立つ行事がいくらか存在します。

そんな行事や、成績が優秀だった私は次第に目立つようになっていきます。

 

さらに、友達が2,3人できた私は授業中一番後ろの席ではなく友達が選ぶ中心の席や時には前の席にも座り授業を受けるようになっていきます。

 

そんな毎日が続いていき、私の緊張する性格が日に日にひどくなっていくのは自分でもわかりました。

正直どうすればこの性格を変えられるか毎日試行錯誤しながら過ごしてきました。

 

私は学校に原付バイクで通うようになったりした際にはできる限りそうして通うようにもしました。

理由は原付バイクで通うと緊張がわずかですが和らぐからです。

また、休日明けの日は今まで以上に緊張するため朝早く起きて学校に行ったりしてできる限りなれるようにしていました。

 

最悪な日は雨の日です。

 

緊張でただでさえ汗だらだらになるのに雨の湿度で体中が熱く、症状が和らぐことがありません。

私はそんな汗まみれで緊張し続け、授業に全く集中できず、考えることすらできない毎日を無理やり乗り切っていました。

 

そして、毎日怒られながらもなんとか卒論を書き大学を卒業することができるようにまでなりました。

 

別の話になりますが、人生で初めてバイトを始めたのも大学2年の後半からで、その時はセブンイレブンの夜勤を1年ほど続けました。

 

↓に続きます。

Profile! はじめまして。~過去の記録~  絶望からの物語